アラビアの笑い話:ジョハー③迷裁判

「ジョハーの迷裁判」

ジョハーが裁判官だったある日、レストランのオーナーとひとりの貧しい男が朝早くにやってきた。

レストランオーナー:「やぁ、裁判官。わたしゃ、肉を焼くケバブレストランを経営しているんですがね、この貧しい男がうちの店の近くに座り込んで、肉を焼くいい匂いを嗅ぎながら、自分が持っているパンを食べてんでさぁ」

ジョハー裁判官:「それで、どうしたいんだね?」

レストランオーナー:「匂いの代金をはらってほしいんでさぁ」

ジョハーはしばらく考えてから、おもむろにポケットからたくさんのコインを出してカチャカチャとコインを数え始めた。そしてレストランオーナーに尋ねた。

ジョハー裁判官:「今の音を聞いたかね?」

レストランオーナー:「聞きましたとも」

すると、ジョハーは笑いながらこう言った。

ジョハー裁判官:「よし、それでは、この音だけを、肉の匂いだけの支払い金額として受け取れ。一件落着だ」

 

 

 

 

 

 

 

サウジの歴史・国家統一

1932年、サウジアラビア王国として、国家は統一された。
「神がかり」なのは、その直後、1933年から米国によって石油の探査がはじまり、5年後には油田が「本当に」発見されたことだ!

その後の歴史は誰もが知っている。
字を読める人はほとんどいなかった遊牧民の国は、アレヨアレヨという間に「世界に名だたるお金持ちの近代国家」になってしまったのだ。

 

「恋するサウジ」 角川書店より

サウジの歴史・サウド家時代

18世紀初頭、サウド部族の首長、サウド・ビン・ムハンマド・ビン・ムクリンはリヤド市の北、ディライヤを中心に首相国を治めた(彼はサウジラビアの創始者とされている)。
その王位を継いだムハンマドは、ワッハーブ派イスラム教の守護者として、宗教改革を推進する。
政治が宗教と組んだのだ。

1744年、ワッハーブがディライヤに移り住み、その後4人のイマーム(首長)が統治した。
しかし、オスマン帝国が3次エジプト遠征軍をアラビア半島にも送り、ディライヤは廃墟となってしまう。

1824年から、オスマン帝国に対する抵抗運動は続き、9人のイマームが支配したが、ついに最後のイマーム、アブデュル・ラーマン・アル・ファイサルは家族と共にクウェートへ追われてしまう。

1902年、偉大な指導者アブドル・アジズ・ビン・アブドェル・ラーマン・アル・ファイサル・アル・サウド(あまりに長い名前なので、通称ビン・サウド、のちのアブドルアジス国王)は、リヤド奪還を果たし、その後も勝ち続け、1925年にはアラビア半島のほぼ全域を統一。

 

「恋するサウジ」 角川書店より

サウジの歴史・紀元前3世紀/イスラム時代

◎紀元前三世紀

東地中海を中心に栄華を極めたナバタイ人が、「マダインサレ」に都市を築いた。ナバタイ人国家の首都は、ヨルダンの「ペトラ遺跡」だったとされているが、なるほどその建物の作り方、繊細な装飾の掘り方はとてもよく似ている。

◎イスラム時代

610年頃、ムハンマドが神の啓示を受けてイスラム教を広めた。その後一時迫害にあい、622年にメディーナに移り住んだが、再び力をたくわえ、アラビア地方を統一した(ヒジュラ暦元年は、メディーナ移住の年、西暦622年)。

 

「恋するサウジ」 角川書店より

ヘナアート!

エジプト人のお友達作!