サウジの歴史・サウド家時代

18世紀初頭、サウド部族の首長、サウド・ビン・ムハンマド・ビン・ムクリンはリヤド市の北、ディライヤを中心に首相国を治めた(彼はサウジラビアの創始者とされている)。
その王位を継いだムハンマドは、ワッハーブ派イスラム教の守護者として、宗教改革を推進する。
政治が宗教と組んだのだ。

1744年、ワッハーブがディライヤに移り住み、その後4人のイマーム(首長)が統治した。
しかし、オスマン帝国が3次エジプト遠征軍をアラビア半島にも送り、ディライヤは廃墟となってしまう。

1824年から、オスマン帝国に対する抵抗運動は続き、9人のイマームが支配したが、ついに最後のイマーム、アブデュル・ラーマン・アル・ファイサルは家族と共にクウェートへ追われてしまう。

1902年、偉大な指導者アブドル・アジズ・ビン・アブドェル・ラーマン・アル・ファイサル・アル・サウド(あまりに長い名前なので、通称ビン・サウド、のちのアブドルアジス国王)は、リヤド奪還を果たし、その後も勝ち続け、1925年にはアラビア半島のほぼ全域を統一。

 

「恋するサウジ」 角川書店より