アラビア衣装試着体験風景(ワークショップにて)

アラビア衣装試着体験コーナーの様子です。女性用はもちろん、成人男性用、男女・子供用の衣装もそろっています。男性衣装については大人用、子供用ともに、コートや頭に被るゴトラ、イガールなども各種一式ありますので、家族そろって試着し、アラビア人の家族風?写真を撮影してもいいですね。

お楽しみに!

2023年4月29日、夜会ワークショップで、アラビア衣装を着てヘナを楽しみ、夜会を体験しましょう。

次回ワークショップでは、衣装体験とヘナアートに加えて、サウジアラビア人の伝統的な接待の体験をしてみましょう。招待してくれた人の家に伺うと、まず女性は女性だけの居間へ通されます。カーペットの上に座ると、いきなりローズウォーターを振りかけられ歓迎の合図。そしてお香入れが回ってきて、1人ずつ香りを楽しみ、わきの下やスカートの中にお香入れを入れて香りをつけ、次の人に回します。その後、コーヒーとデーツが出てきて・・・・、さぁ、その後どうなることやら。当日のお楽しみです。

2023年4月15日、秋田大学鉱業博物館「アラビア女性のおしゃれとおもてなし~化粧とお香、デーツとコーヒー文化~」展でワークショップを行いました

2019年に大阪の国立民族学博物館で3カ月、横浜ユーラシア文化館でも3ヶ月行なった、片倉もとこ記念沙漠文化財団によるサウジアラビア調査報告を兼ねて他の研究会と共に行った展示会は、その後も巡回展として他地域を回る予定をしていましたが、コロナ禍で延期になっていました。

ようやく昨年2022年10月20日~12月23日、秋田大学鉱業博物館での「金と銀からみるアラビア衣装~カラフル、リバイバル、リサイクル~」として開催の運びとなりました。

そして2023年3月23日~5月24日の予定で第2段となる展示会「アラビア女性のおしゃれとおもてなし」が同じく秋田大学鉱業博物館で開催されます。

4月15日に行ったワークショップ「アラビア伝統衣装を着てヘナ・アートをしよう!」は前回同様、NHK秋田や新聞社などの取材を受け、注目を浴びています。

民族衣装マハ―リードを色紙で作ろう!ワークショップと講演

サウジアラビアのワーディ・ファーティマ地域に住む、あるおばあさんから部族の古い民族衣装マハ―リードをお借りし、すべての採寸をし、生地の取り都合や型紙をつくってみました。せっかくなので私はそれをちょうど10分の1サイズに簡略化し、和紙を使ってミニチュアサイズの衣装をつくるワークショップを行ってみようと思い付きました。なぜなら、アラブのこの衣装は、直線裁ちでなので日本の着物ととても良く似た発想で作られているのです。西洋式洋裁のように、人間の体に合わせて四角い生地を曲線に裁つのではなく、人間の身体を四角い生地に合わせていく発想です。

実物大に拡大した写真パネルを見てください。まるで振りそでのような長~い袖、成人式での晴れ姿のようです。ちなみにこの写真はちょうど半世紀前のある結婚式の朝、参列する老女を文化人類学者・片倉もとこが撮影したもので、衣装はこの女性が結婚した時から愛用している晴れ着だそうです。

その前に置いた和紙の作品は、参加者の皆さんが楽しみながら作った10分の1サイズのマハ―リード。それぞれ少しずつオリジナリティのあるすてきな出来栄えになっています。

実物大の写真パネルと、和紙でつくった参加者の作品、見比べてみてください。そっくりですね。よくできています(型紙と、パーツを作成して配布した私のアイデア、、軽く自慢?)

NHK総合テレビでペルシャ文化紹介

8月20日PM10:30~11:45放送、NHK総合「世界はほしいモノにあふれてる」

(司会は歌手のJUJUと故・三浦春馬)という番組の、「恋しいペルシャ 美の源流」回の中で、撮影協力をしました。

19年前に自ら設計デザインした拙宅は、たくさんのペルシャカーペット、ギャッペ、キリム、陶器雑貨類、アンティークなどイランの工芸品であふれています。イランで購入した作品を飾るために、設計したと言っても過言ではありません。

冒頭から17分ごろで少し、取り上げられてます。

https://photos.app.goo.gl/DvDW3BCtsaNVL1wv6

奥深い中東文化を紹介することができ、私のライフワークの夢が少しだけ、かないそうです。

今年は秋口まで酷暑が続くとか・・・。熱中症にもコロナウィルスにも負けず、また会いましょう!

コロナ騒ぎで考えたこと:マスクとニカーブとブルクワ

今年はなんだか、コロナで世界中が大変なことになっています。私個人としては、1月にサウジアラビアで友人の結婚式参加、2月には三週間のブラジル一周ひとり旅(リオのカーニバルでは観戦だけでなく、一番人気のマンゲイラに参加して踊り、アマゾンや白い沙漠レンソイス、イグアスの滝、サルバドル観光、)・・・ととても充実した始まりだったのですが、ブラジルから帰国したころから雲行きが怪しくなり、今や都市封鎖だの、感染爆発だの・・・と心配なことばかりです。

海外に行くたびに感じることですが、風邪防止や人さまに風邪をうつさないためマスクをかけることは、日本人の良い習慣だと感じます。とはいえ、昨今ようやく欧米の方たちも南米の人たちもマスクをつける人が増えてきました。

ところでアラブ諸国、とくにサウジアラビアの女性たちは二カーブまたはブルクワという布で顔を隠しますが、沙漠の中で調査活動などをしていると、この顔隠しが、すこぶる都合が良いことに気付きます。砂埃を防ぎ、直射日光から守ってくれます。元祖UVカットの美容アイテム?とも言えます。ちなみに今、私は日本で外出する際に「活性炭マスク」なるもの、つまり、消臭のみならず花粉、細菌、埃を防いでくれるという黒いマスクをつけていて、いつも玄関で鏡を見るたびに、「ん?これはほとんどニカーブだな」と思いながら外出します。ひょっとしたらウィルス対策にもニカーブは一役かっていたのかも・・・?

イスラームが興る以前から、男女ともに大きな布またはたっぷりしたワンピース状の衣装を着て、頭や顔は布で隠し、砂や強い日差しから自らを守る習慣があったそうです。イスラームの「美しいものは隠して自らを守りなさい」という考え方に基づいて女性が顔を隠していることはもちろんですが、もともとその地の風土に適合した習慣でもあるのだろう、理にかなったことだ、と感じるこのごろです。

現在、日本が最悪なことにならないよう、余計な外出は極力減らし、仕事はほとんど自宅兼オフィスで済ませています。案外、出かけなくても仕事ってできるものですね。一日も早い収束を願っています

2019年、今年5回目のサウジ出張です。

2019年もいよいよ年の瀬も押し迫り、慌ただしい日々です。私は今年5回目となるサウジ出張に行くことになりました。

え?先週、帰国したばかりでしょ、って?はい、そうなのです。JETRO専門家派遣調査で依頼され、私が知る財閥の女性CEOなど有力女性や、女性のエンパワーメントや起業、就職に力を入れている組織を訪ねて回りました。

そして今日から、またサウジです。今度はサウジアラムコ社に、世界文化センター博物館の展示会オープニングセレモニーに招かれているからですが、そのあとにジェッダに飛び、友人の結婚式に参加することが目的です。結婚式前1週間、密着取材させていただき、様々な儀式をこの目で見たい!と思っています。さて、その内容については、またお知らせしますので、こうご期待!

国立民族学博物館、横浜ユーラシア文化館での展示会

今年のビッグイベントだった、6~9月の国立民族学博物館、10~12月の横浜ユーラシア文化館での企画展示会「サウジアラビア、オアシスに生きる女性たちの50年」が、無事に終わりました。

片倉もとこ記念沙漠文化財団の理事として、国立民族学博物館の共同研究員としてこの3年間、数カ月に一度大阪に行き、研究会に参加、発表を繰り返しながらこの展示会の準備を進めてきましたが、ようやく肩の荷が下りた、という感じです。

展示会場に展示するアンティークなどの衣装やベドウィンジュエリーとして、私の私物20点が採用されたことに加え、私の専門職である空間デザインの観点から展示会場の設営アイデアを出しました。また、展示会場のパネル説明内容の原稿書き、展示会場で販売する図録本の原稿書きとイラスト描き、そして展示会場で販売する「ミュージアムグッズ」までデザイン、イラスト作成をし、忙しい毎日でした。

おかげさまで、アンケート結果はとても評判がよく、「サウジの女性が生き生きと暮らしていることを知り、黒いベールで隠された可哀そうな人たちというイメージが、大きく覆りました」、「イスラームに対する誤解が解けました」、「サウジに行ってみたいと思うようになりました」など、とても嬉しい感想をたくさんいただいています。とくに、私が出張授業で教えた中学生、高校生たちが、とても感動し展示会を楽しんでくれたこと、サウジ遊牧民のテントの中でアラブコーヒーやデーツ(なつめやしを干したもの)などのお菓子を食べながら、女性の生き方や将来のことまで語り合ったことは、忘れられない思い出になりました。みなさま、有難うございました。

若き皇太子と女性の運転免許解禁

サウジアラビアで女性の運転免許取得が解禁されてから、すでに2カ月がたちますね。多くの国民から支持されているムハンマド皇太子の英断だと思います。

今後、女性が車を購入することで、低迷気味な自動車市場は活性化するとみこまれています。

さらに、自分で運転できれば自由に家から出かけられるので、女性の就労環境が劇的に良くなり、女性向けの新規雇用が5万人近い・・・との試算もあるようです。

新たな産業としては、女性向けの自動車教習所、自動車保険の新設なども期待されています。

おまけに、今まで外国人ドライバーに支払っていたお給料を払わなくてよくなるので、その分お小遣いが増えることになります。

ムハンマド皇太子は、個人財団ミスクを持ち、サウジ・ビジョン2030の旗振り役、しかも副首相、国防相、アラムコ(国営石油会社)最高会議議長、公的投資基金PIF議長、さらに政治、経済に関する会議の議長も兼任しています。

皇太子が日本通で、アニメ好きなので、今後日本との関係もますますよくなりそうですね。期待しています!

サウジアラビア女性の運転免許解禁活動30年

サウジ女性の運転免許解禁活動30年(日本アラブ協会「季刊アラブ」NO163寄稿) 

サウジアラビアで、女性の運転免許解禁を求めて声をあげる女性が出始めて約30年になる。最初の運動家達は今、何を思って日々過ごしているのだろう。

ここ12年のサウジ体制の変化は、私が知る過去30年間の動きよりもずっと大きい。その最も象徴的な変化が、女性への運転免許解禁であろう。正直に言って当初、私はこの解禁に懐疑的であった。結局は宗教勢力との調整がうまくいかず、法整備に時間がかかってうやむやになってしまうのではないか、と。

ところが今度は、どうも様子が違う。ジェッダ市のエファット大学やリヤド市のヌーラプリンセス大学、サウジアラムコではすでに100台単位で女性用自動車を買い上げ女性への運転教習を始めたし、リヤド市内の運転教習所も一部を女性専用に改装した。また、ウーバー、カリームといった配車サービス大手は、すでに女性運転手を教習し始めたそうだ。さらに、ジェッダのモール内には女性用自動車の販売店ができ、国をあげて6月の解禁を待ちわびているかのようである。

このスピード感には驚かされるばかりだが、実際にサウジの人々に話を聞くと、彼らはとても冷静に受け止めており、この速い変化を大変歓迎しているようなのだ。

5%の消費税に加えて、ガソリン、ガス、電気代と値上げが続くが、その不満よりも、今は変革に皆がワクワクしている。女性の運転解禁に反対する人もほとんどいなくなった」

といった意見を多く聞く。つい先日も、来日したサウジ女性からこんな話を聞いた。昨年9月に女性の運転解禁というサルマン国王の勅令が出てから、ネットでは様々な意見が飛び交い、女性の運転反対をうたう皮肉な歌や書き込みがあったが、中には「車を運転している女を見たら、燃やしてやる」といった過激なものもあったそうだ。ところがその書き込みをした人物はすぐに特定され、5年の禁固刑を科された。年端も行かない青年だったため、ふざけ半分だったのだから許してあげてほしいという嘆願書も多かったが、結局許されなかった。そのような事件が起きてから、「国は本気だ」という風潮が漂い、表立った反対意見が出なくなったのだという。女性の立場が自由になりつつあることは、中小企業庁や商業投資省で男女が同室で打ち合わせをすることが可能になったことでも、見て取れる。その他にも様々な変化がサウジ女性を取り巻いている。たとえば政府のレセプションでサウジ女性がピアノを弾くなど、数年前は誰が想像できただろう。

さて、女性の運転免許解禁活動に話を戻そう。最初の活動は199011月、首都リヤドで起きた47人の女性活動家たちによる運転デモである。当時リヤドに住んでいた私は、その後の調査で、首謀者であった2人の女性に生々しい話を直接聞くことができた。

なぜそのようなデモが起きたのかというと、発端は湾岸危機であった。199082日のイラクによるクェート侵攻に端を発した湾岸危機をきっかけに、米軍がサウジ国内に駐留を始め、米国軍用ジープがあちこちで見られるようになった。すると皮肉なことに、人々の注目は軍用ジープよりもそれに乗っている米軍女性兵士に集まった。未婚の女性兵士が、サウジで禁じられている半袖姿で、髪の毛を出し、しかも男性と同席で、おまけにあろうことか、堂々と運転している!宗教家にとっては許せないことではあるが、ことは戦争寸前の非常事態であったため、米軍に守ってもらう立場のサウジとしては黙認するしかなかったのである。しかし一部のサウジ女性たちは、この米軍女性たちの姿に大きく刺激された。私たちも運転できるし、男性と同様に仕事ができるし、もっと自由であるべきだ、と。

そのような背景から起こったデモの始まりは、リヤド市内にある欧州系の高級スーパーマーケット、ユーロマルシェの駐車場であった。ズフル(昼)の時間帯、申し合わせていた47人の女性が人影のほとんどないこの場所に、自分の車を外国人運転手に運転させて、ぞくぞくと集まってきた。通常、昼から4時頃までというのは伝統的に昼食と昼寝の時間帯であり、ほとんどの人は自宅に帰る。だからこんな時間にスーパーマーケットに来る人などは滅多にいないし、道路は灼熱のゆらぎの中でむなしく、ガラガラであった。次に彼女達が起こした行動は、雇用している外国人の男性運転手(多くはフィリピン人)に、

「今日はもう帰っていい」

と言ってチップを渡すことだった。ホクホク顔の運転手たちは、三々五々その場を離れたと言う。彼らの姿が見えなくなったあと、事前の相談通り、47人の女性達はおもむろに運転を始め高速道路に入った。走行車は少なく、運転に問題はなかった。たまにすれ違う対向車も、女性が運転しているとは気づかない様子だった。

「とても気持ちよかった。米国で運転免許を取得したが、まだ腕は鈍っていないと感じた」

思いのほか長いあいだ運転することができたが、1時間ほど経ったころ、道路を取り締まっている交通警察の車に見つかり全員が警察に誘導された。彼女達が集められた部屋は、小さな居間だったそうだ。窮屈な空間で何時間も待たされた。その時間が一番苦痛だった、と別々の場所で別々の日にインタビューしたにもかかわらず、2人は同じことを言った。

 まもなく警官から全員の氏名、職業、住所などを記入するよう書類を渡され、ほどなくして「帰れ」と言われたそうだ。その時には少し肩透かしをくらったような感じだったが、翌日職場に行くと、上司から、

「明日からもう来なくていい」

と突然の解雇通知を受けた。私が話を聞いた女性の1人は大学教授、もう1人は医学関係者だったので、それぞれが勤務していた大学、病院から一方的に理由も言われず解雇されたのである。処罰は本人のみならず、父親、叔父、兄弟にまで及び、男性親族ほぼすべてが一気に職を失う事態になり、海外渡航禁止の罰も受けた。しかもこの運転デモが起こるまで、慣習により女性の運転が認められていなかったのだが、この後ファトワ(宗教令)が出され、公式に女性の運転が禁止されてしまったのである。その3年後に突然、復職できたそうだが、その間の彼女達の心の内を考えると、胸が熱くなる。涙をこらえながら語ったデモ首謀者を、私の友人であるサウジ女性が、

「この女性は我々のヒーローなのよ」

と紹介してくれたとき、彼女の表情に尊敬の念と共に同情の色が見てとれた。

運転の権利を勝ち取りつつあるサウジ女性の姿を見るとき、約30年前のあの抗議活動を思い出さずにはいられない。