国立民族学博物館、横浜ユーラシア文化館での展示会

今年のビッグイベントだった、6~9月の国立民族学博物館、10~12月の横浜ユーラシア文化館での企画展示会「サウジアラビア、オアシスに生きる女性たちの50年」が、無事に終わりました。

片倉もとこ記念沙漠文化財団の理事として、国立民族学博物館の共同研究員としてこの3年間、数カ月に一度大阪に行き、研究会に参加、発表を繰り返しながらこの展示会の準備を進めてきましたが、ようやく肩の荷が下りた、という感じです。

展示会場に展示するアンティークなどの衣装やベドウィンジュエリーとして、私の私物20点が採用されたことに加え、私の専門職である空間デザインの観点から展示会場の設営アイデアを出しました。また、展示会場のパネル説明内容の原稿書き、展示会場で販売する図録本の原稿書きとイラスト描き、そして展示会場で販売する「ミュージアムグッズ」までデザイン、イラスト作成をし、忙しい毎日でした。

おかげさまで、アンケート結果はとても評判がよく、「サウジの女性が生き生きと暮らしていることを知り、黒いベールで隠された可哀そうな人たちというイメージが、大きく覆りました」、「イスラームに対する誤解が解けました」、「サウジに行ってみたいと思うようになりました」など、とても嬉しい感想をたくさんいただいています。とくに、私が出張授業で教えた中学生、高校生たちが、とても感動し展示会を楽しんでくれたこと、サウジ遊牧民のテントの中でアラブコーヒーやデーツ(なつめやしを干したもの)などのお菓子を食べながら、女性の生き方や将来のことまで語り合ったことは、忘れられない思い出になりました。みなさま、有難うございました。

新書 出版のお知らせ

6月12日、片倉もとこ記念沙漠文化財団発行の書籍「サウジアラビア、オアシスに生きる女性たちの50年—「みられる私」より「みる私」」が河出書房新社より発売されました。

こちらは国立民族学博物館で開催中の企画展のもととなる、研究成果をまとめた解説書となっています。企画展の内容にくわえ、片倉もとこの魅力的な文章の数々も掲載されています。

縄田浩志編
定価1800円(税抜き)
発行:片倉もとこ記念沙漠文化財団
発売:河出書房新社
ISBN:978-4-309-92177-8
版型:B5変形版
ページ:184ページ

(私も、衣装などのページで調査結果を報告しています)

下記サイトからもご購入いただけます。
•国立民族学博物館ミュージアムショップ
•アマゾン
•紀伊国屋書店
•三省堂書店
•honto*丸善、文教堂、ジュンク堂などで受取可能
•全国書店ネットワーク e-hon*ブックファーストなどで受取可能

投稿日時: 2019年6月12日 カテゴリー: インフォメーション, 刊行物

若き皇太子と女性の運転免許解禁

サウジアラビアで女性の運転免許取得が解禁されてから、すでに2カ月がたちますね。多くの国民から支持されているムハンマド皇太子の英断だと思います。

今後、女性が車を購入することで、低迷気味な自動車市場は活性化するとみこまれています。

さらに、自分で運転できれば自由に家から出かけられるので、女性の就労環境が劇的に良くなり、女性向けの新規雇用が5万人近い・・・との試算もあるようです。

新たな産業としては、女性向けの自動車教習所、自動車保険の新設なども期待されています。

おまけに、今まで外国人ドライバーに支払っていたお給料を払わなくてよくなるので、その分お小遣いが増えることになります。

ムハンマド皇太子は、個人財団ミスクを持ち、サウジ・ビジョン2030の旗振り役、しかも副首相、国防相、アラムコ(国営石油会社)最高会議議長、公的投資基金PIF議長、さらに政治、経済に関する会議の議長も兼任しています。

皇太子が日本通で、アニメ好きなので、今後日本との関係もますますよくなりそうですね。期待しています!

サウジアラビア女性の運転免許解禁活動30年

サウジ女性の運転免許解禁活動30年(日本アラブ協会「季刊アラブ」NO163寄稿) 

サウジアラビアで、女性の運転免許解禁を求めて声をあげる女性が出始めて約30年になる。最初の運動家達は今、何を思って日々過ごしているのだろう。

ここ12年のサウジ体制の変化は、私が知る過去30年間の動きよりもずっと大きい。その最も象徴的な変化が、女性への運転免許解禁であろう。正直に言って当初、私はこの解禁に懐疑的であった。結局は宗教勢力との調整がうまくいかず、法整備に時間がかかってうやむやになってしまうのではないか、と。

ところが今度は、どうも様子が違う。ジェッダ市のエファット大学やリヤド市のヌーラプリンセス大学、サウジアラムコではすでに100台単位で女性用自動車を買い上げ女性への運転教習を始めたし、リヤド市内の運転教習所も一部を女性専用に改装した。また、ウーバー、カリームといった配車サービス大手は、すでに女性運転手を教習し始めたそうだ。さらに、ジェッダのモール内には女性用自動車の販売店ができ、国をあげて6月の解禁を待ちわびているかのようである。

このスピード感には驚かされるばかりだが、実際にサウジの人々に話を聞くと、彼らはとても冷静に受け止めており、この速い変化を大変歓迎しているようなのだ。

5%の消費税に加えて、ガソリン、ガス、電気代と値上げが続くが、その不満よりも、今は変革に皆がワクワクしている。女性の運転解禁に反対する人もほとんどいなくなった」

といった意見を多く聞く。つい先日も、来日したサウジ女性からこんな話を聞いた。昨年9月に女性の運転解禁というサルマン国王の勅令が出てから、ネットでは様々な意見が飛び交い、女性の運転反対をうたう皮肉な歌や書き込みがあったが、中には「車を運転している女を見たら、燃やしてやる」といった過激なものもあったそうだ。ところがその書き込みをした人物はすぐに特定され、5年の禁固刑を科された。年端も行かない青年だったため、ふざけ半分だったのだから許してあげてほしいという嘆願書も多かったが、結局許されなかった。そのような事件が起きてから、「国は本気だ」という風潮が漂い、表立った反対意見が出なくなったのだという。女性の立場が自由になりつつあることは、中小企業庁や商業投資省で男女が同室で打ち合わせをすることが可能になったことでも、見て取れる。その他にも様々な変化がサウジ女性を取り巻いている。たとえば政府のレセプションでサウジ女性がピアノを弾くなど、数年前は誰が想像できただろう。

さて、女性の運転免許解禁活動に話を戻そう。最初の活動は199011月、首都リヤドで起きた47人の女性活動家たちによる運転デモである。当時リヤドに住んでいた私は、その後の調査で、首謀者であった2人の女性に生々しい話を直接聞くことができた。

なぜそのようなデモが起きたのかというと、発端は湾岸危機であった。199082日のイラクによるクェート侵攻に端を発した湾岸危機をきっかけに、米軍がサウジ国内に駐留を始め、米国軍用ジープがあちこちで見られるようになった。すると皮肉なことに、人々の注目は軍用ジープよりもそれに乗っている米軍女性兵士に集まった。未婚の女性兵士が、サウジで禁じられている半袖姿で、髪の毛を出し、しかも男性と同席で、おまけにあろうことか、堂々と運転している!宗教家にとっては許せないことではあるが、ことは戦争寸前の非常事態であったため、米軍に守ってもらう立場のサウジとしては黙認するしかなかったのである。しかし一部のサウジ女性たちは、この米軍女性たちの姿に大きく刺激された。私たちも運転できるし、男性と同様に仕事ができるし、もっと自由であるべきだ、と。

そのような背景から起こったデモの始まりは、リヤド市内にある欧州系の高級スーパーマーケット、ユーロマルシェの駐車場であった。ズフル(昼)の時間帯、申し合わせていた47人の女性が人影のほとんどないこの場所に、自分の車を外国人運転手に運転させて、ぞくぞくと集まってきた。通常、昼から4時頃までというのは伝統的に昼食と昼寝の時間帯であり、ほとんどの人は自宅に帰る。だからこんな時間にスーパーマーケットに来る人などは滅多にいないし、道路は灼熱のゆらぎの中でむなしく、ガラガラであった。次に彼女達が起こした行動は、雇用している外国人の男性運転手(多くはフィリピン人)に、

「今日はもう帰っていい」

と言ってチップを渡すことだった。ホクホク顔の運転手たちは、三々五々その場を離れたと言う。彼らの姿が見えなくなったあと、事前の相談通り、47人の女性達はおもむろに運転を始め高速道路に入った。走行車は少なく、運転に問題はなかった。たまにすれ違う対向車も、女性が運転しているとは気づかない様子だった。

「とても気持ちよかった。米国で運転免許を取得したが、まだ腕は鈍っていないと感じた」

思いのほか長いあいだ運転することができたが、1時間ほど経ったころ、道路を取り締まっている交通警察の車に見つかり全員が警察に誘導された。彼女達が集められた部屋は、小さな居間だったそうだ。窮屈な空間で何時間も待たされた。その時間が一番苦痛だった、と別々の場所で別々の日にインタビューしたにもかかわらず、2人は同じことを言った。

 まもなく警官から全員の氏名、職業、住所などを記入するよう書類を渡され、ほどなくして「帰れ」と言われたそうだ。その時には少し肩透かしをくらったような感じだったが、翌日職場に行くと、上司から、

「明日からもう来なくていい」

と突然の解雇通知を受けた。私が話を聞いた女性の1人は大学教授、もう1人は医学関係者だったので、それぞれが勤務していた大学、病院から一方的に理由も言われず解雇されたのである。処罰は本人のみならず、父親、叔父、兄弟にまで及び、男性親族ほぼすべてが一気に職を失う事態になり、海外渡航禁止の罰も受けた。しかもこの運転デモが起こるまで、慣習により女性の運転が認められていなかったのだが、この後ファトワ(宗教令)が出され、公式に女性の運転が禁止されてしまったのである。その3年後に突然、復職できたそうだが、その間の彼女達の心の内を考えると、胸が熱くなる。涙をこらえながら語ったデモ首謀者を、私の友人であるサウジ女性が、

「この女性は我々のヒーローなのよ」

と紹介してくれたとき、彼女の表情に尊敬の念と共に同情の色が見てとれた。

運転の権利を勝ち取りつつあるサウジ女性の姿を見るとき、約30年前のあの抗議活動を思い出さずにはいられない。

片倉もとこ記念沙漠文化財団 サウジアラビア現地調査報告①

片倉もとこ記念沙漠文化財団の理事として、国立民族学博物館、秋田大学、当財団のメンバーと共に4月28日~5月18日まで現地調査をしてきました。

今回受入先としてサウジ遺産観光庁が全面的にバックアップしてくださり、訪サ直後、同庁のプリンス・スルタン・ビン・サルマン長官(先日「アラビアの道」展終了に合わせてご来日)、そしてマッカ州のハーリド・ビン・ファイサル知事から、現地のワーディ・ファーティマ社会開発センターの調査受入の正式なレターが出たことで、予想をはるかに上回る範囲とスピードで民具撮影や現地の方がたへのインタビューを行うことができました。

また、労働省、ワディ・ファーティマ社会開発センターのセンター長、ジュムーム市長からも全面的なバックアップを得て、ジェッダおよびワディ・ファーティマにおいて円滑に調査を進めることができました。

さらにリヤドでは、キング・ファイサル・センターと弊財団の間で、MOUを締結しました。
昨年12月の国際シンポジウムにおいてできたご縁で、今後展示および写真等のデジタルアーカイブ事業において協力していくことが主な内容となっています。

アラビアのこばなし:利口なおんどり

利口なおんどり

ある日、おんどりはエサを探しに家を出て、村から離れていった。すると、突然ものかげからキツネが現れた。おんどりは震え上がって、あわてて木にかけのぼった。すると、キツネは言った。

「やあ、友達のおんどりさん、こんにちは。降りてこないか?そしたら、君の美しい声を聴けるし、話もできるのに」

おんどりは言い返した。

「君は僕の友達じゃあないよ。だって君はうそつきのキツネじゃないか」

するとキツネはこう答えた。

「あれ?君は動物会議について何も聞いていないの?会議では平和と愛、そしてみんな友達になることに合意したんだよ。オオカミは羊たちを友達として扱うし、猫はネズミと遊ぶし、キツネはおんどりと話をするんだよ」

おんどりは言った。

「そうなの。おかげで、恐怖はなくなったよ。あ、ほら、キツネさん、あそこに犬たちがいる。こっちに近づいてくるよ。さあ、彼らにあいさつに行きなよ」

犬たちを見たキツネは震えあがり、逃げようとした。そこでおんどりは叫んだ。

「あれれ?なぜ犬から逃げるの?怖がるの?その合意が安全を保障してくれるっていうのに」

だまし屋キツネはこう言った。

「ぼ、ぼくはあの犬たちが、この合意についてまだ聞いていないんじゃないかと恐れているんだよ」

アラビアのアニメソング「千夜一夜物語」訳

千夜一夜
千夜一夜
恐怖がそれを埋め尽くす
恐ろしい王様、とっても不思議なお話

広がる幻想、空飛ぶじゅうたん
宝物、お金、愛情、恐怖、そして命

そこには烏合の衆がいて、お腹をすかせてずる賢く
そこにはヒーローがいて、悪者がいて
唯一絶対、なぞなぞ、そしてそこには魔法のランプ

1000の物語・・・恐怖がそれを埋めつくす

海の妖精(人魚)とワズィール(親分)
そしてジン(アラビアの魔物や妖精)、空を飛び回り
わたしから神話を聞く

千夜一夜

サウジと日本 なぜか似た景色

サウジと日本、なぜか似た景色・・・お気に入りの風景

アラビア半島には5色の沙漠があるという。
しかし私は、その中で最も美しいのはサウジアラビアの赤い沙漠だと信じている。特に、サラサラと動く砂の中からニョキッと突き出た奇岩のある風景が、紺碧の空と対比している姿は、神々しくさえある。酸化鉄の成分により赤褐色に染まった砂と、大地から隆起した巨岩が長い年月をかけて風化し何とも言えぬ不思議な造形を成した奇岩の山々。私が最も愛する風景だ。サウジアラビア北部にあるマダインサーレハ遺跡も、巨大な奇岩を繰り抜いて作られた墳墓群である。
ところで、私が好きな日本の風景は、日本海側の冬の雪国だ。真っ白い雪がすべての景色を包み、まるで墨絵である。単色に染まったその世界は、色は違うが、サウジアラビアの沙漠の景色と似ている。一面の雪は、なぜか一面の砂を思い起こさせるのだ。それはたぶん、雪と砂、そのどちらもが全てのものを覆いつくした、心に突き刺さるような美しさを放っているからだ。
雪国の積雪は、4mにもなる。厳しい冬の間、雪と戦い続ける人々の姿には、沙漠で過酷な自然と対峙する遊牧民に通じるものがある。ここに、一見相反する環境であるにもかかわらず、共通したサムライ魂を感じるのだ。なぜ、沙漠と雪国の風景が私を魅了するのか、その答えがここにはある。

(アラブイスラーム学院誌「タワースル」寄稿)

アラビアの笑い話:ジョハー④鍋

アラビアの笑い話:ジョハー④

ある日、ジョハーは家でパーティーを開くため、隣の家に大きな鍋を借りに行った。そして翌日、その鍋をすぐに返しにいった。隣の家の主人は言った。

「この大鍋に入っている小皿は何だい?」

「鍋が子供を産んだんだよ」

ジョハーがそう言うと、初めは目を丸くしていた隣の主人は、嬉しそうにその大鍋と小皿を受け取った。

そして、ジョハーが翌月もまた同様にパーティーのため大鍋を借りに隣に行くと、隣の主人は快く鍋を貸してくれた。翌日になると、すぐにジョハーは大鍋に小皿を一枚付けて、返した。こんなことが半年間、毎月続いた。

ある日、またまた大鍋を借りにジョハーが隣に行くと、またまた隣の主人は快く貸してくれた。ところが、今回は翌日になっても、数日たってもジョハーが大鍋を返しに来ない。そこで、隣の主人はジョハーの家のドアをたたいた。すると、ジョハーが泣きながら出てきた。

「どうしたんだい、ジョハー。」

「実は、鍋が死んでしまったんだ。だから、もう返せなくなった」

隣の主人は驚き、そして大笑いして言った。「馬鹿者だな、ジョハー。鍋が死ぬはずないだろう。早く返せ」

するとジョハーは言ってのけた。「馬鹿者はお前だよ。鍋が子供を産むのを信じたのに、死ぬのは信じないのか?生まれる者は、いつか死ぬ。そういう運命だ」